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会社の存在意義と「種の旅のひみつ」

独立して会社を始めたごろ、会社の存在意義など考えることはなかった。家族を養う。経済的自立だけが常に頭の中にあった。自分で選んだ道だ、もう一度サラリーマンに戻るということを考えたことは一度もなかった。毎月の収益を確保する闘いの日々の連続だった(今も変わりがないが)。ある程度、軌道に乗ってから企業としての使命「革新的な教育システムの創造」ということを掲げるようになった。会社が存在するためには社会に「価値」が提供できなければ淘汰されてしまう。このようなことに気が付いたのもずっと後になってからだ。
 「種の旅のひみつを知ろう」というプロジェクトが最近完了した。「植物の種」は自力では移動できない。しかし子孫繁栄のために何とか遠くに散らばり勢力を拡大したい。で、タンポポのように風に運ばれたり、ヤシのようにはるか遠くの磯まで海流で運ばれたり、人の衣服について運ばれたり、鳥に食べて貰って運ばれたりする。これが種の旅だ。長い歴史の中で、植物も自分の形を変え、生き残り、進化いるわけだ。昨年の春、鳥取環境大学の足利先生から「子供夢基金」という財団にこのような「種の旅」について企画するので手伝ってくれないかというお話をいただいた。彼とはもう20年以上のお付き合いで、いろいろな理科教材の開発をしてきた。面白い、ユニークな素晴らしい先生だ。
 「賀露おやじの会」という集まりがあって、そこの清末先生や石黒さんなど「ものずき」「理科好き」「発明好き」のユニークな鳥取のおじさんたちが集結して活動している。ここが企画して、弊社が製作を受け持つという計画だ。足利先生の仕事は、いつも予算度外視で凝りに凝ってしまう。今回も予想通りだった。弊社のスタッフがすぐれたものを出すので、それならさらにこうしたいと欲が出てきて修正に修正を重ねるということになる。今回も、できたものは素晴らしい。是非皆さんにも見ていただきたい。と思ってこの文章を書いた。
 成果はhttp://www.karooyaji.org/seed/にある。
 企画、構想、撮影、編集、コンテンツ編集。さらにアドベンチャーゲーム。ゲームの中の自然は素晴らしい。K君が自分のイメージする世界をCGで作り上げた。
私もアイデア出しの段階で少しは参画したが、単なるメモ書きのものから、よくぞここまで具体化してくれたと思う。清末先生のフィールワークでのお話も素晴らしい。やはり、中身がある人の話は面白い。(工学の世界でもこのような語り部のものをいずれ作りたい)
 会社としては、相変わらず経済的な闘いを続けているし、今後も戦い続ける気概と覚悟はある。しかしこの営みの中で、このような作品を残せたということは「会社の存在意義」をさらに高めてくれたと感謝している。
今は「革新的な教育システムの創造」ということが自分に課せられた使命なのだと心から感じている。でも、こういう使命や会社の存在意義を感じられることは、それだけで実に有難いことだ。

45回目の卒業式

 昨夜はトーストマスターズのエリアコンテストの打ち上げ会で、いつもどおり、しっかり飲んだり食べたりしたので9時半に就寝した。そしたら今朝は3時半ごろ目が覚めた。それから仕事? いや、少し眠ろうと思ったら朝になっていた。
 今朝は雨だったが、予定通り、呉で母校(呉高専)の卒業式に参加してきた。いつも招待されているのだが、今回は学校から出席確認の電話が有ったので行くことにした。混雑で2時間くらいかかったが、呉にゆくのは思い出があるので、いやではない。
 今回が45回目の卒業式。私は1回目の卒業生だから、まさに隔世の感がある。来賓席には名前も書かれリボンも用意されていた。1期生は120人くらいいたが、その中で、こうして式典に参加させていただき有難いと思う。
 気が付いたことがある。それは拍手が無いことだ。校長先生の式辞、来賓の式辞、成績優秀者の表彰など、いくつも拍手のタイミングはあるのだが、全く無い。何か申し合わせがあるのかな? しかし、国歌斉唱に始まり、校歌斉唱で終わった卒業式は粛々と行われた。卒業生からの謝辞も、胸に迫るものがあった。
 機械工学科の学生から順番に退場してください、のアナウンスからハプニングが始まった。各クラスから数人の代表が父兄の席の前に並び、感謝をこめて歌を歌うというのだ。学生は起立、後ろに回れ右の合図で起立した学生が一斉に後ろの父兄に向かい、「明日がある」の替え歌を歌い始めた。「自由と希望にあふれてた、思いでいっぱいつめこんで、50年後も100年後も僕らの呉高専」が最後の6番だった。やるじゃないか!後輩たち。
 この後で、せっかく呉に行ったので友人の中田さんに会いにゆき、そこで、この話題になった。震災前の卒業式は、相当ひどかったようだ。羽織袴で、高下駄履いたやつもいれば、名前を呼ばれても、一人が声音を変えて5人分くらいの代返をしたり、おちゃらけが目に余ったそうだ。これを変えたのは「大震災」。日本全体が「カツ」を入れられた。卒業式も世相を反映していろのだということがはっきりわかった。まさに、これから、日本を取り戻さないといけない。1回目の卒業生としてもっと関わることを考えたい。

電気の手ほどき その5

 乾電池は誰でもよく知っているが、湿電池というのがあることは御存じだろうか? 電池は電解液に正極と負極の2本の電極を入れると化学反応によって、その2本の間にイオンが流れる(電流)という現象を利用している。この電解液が液体のままで使用されるのが湿電池である。自動車のバッテリーは湿電池の一種である。湿電池では携帯に不便だということで、乾電池が発明された。越後長岡出身の尾井先蔵氏だ。乾電池は日本人の発明品である。日露戦争を勝利に導いたのは彼の発明した乾電池が大いに貢献したという話も伝わっている。何故か。ロシア軍が使っていた鉛電池では、寒冷地では電解液が凍って無線が打てなかったということだ。尾井先蔵氏のことはもっと知られてよい。
東京理科大学報(http://www.sut.ac.jp/info/publish/gakuhou/153/space3_3.html)にもっと詳しい話が掲載されている。一読に値する。 また電池の歴史としては電池工業会という団体の「電池の歴史」資料も大変面白い。http://www.baj.or.jp/knowledge/history01.html。
 乾電池の寿命は、ある程度、計算できる。例えば手元にあるニッケル水素電池には8.4V、200mAhの文字が書いてある。8.4Vというのは取り出すことができる端子間の電圧(正極と負極間の電圧)。200mAh(ミリアンペアアワー)というのは電池の容量で、200mA(ミリアンペア)の電流を一時間取り出せるという計算になる。100mAだと2時間という計算になる。ただし、あくまでこれは目安としての意味合いしかない。電池が消耗する場合、端子電圧が下がるだけではない。内部抵抗が増大する。だからテスターで端子間の電圧を計っただけでは、確認作業としては不十分なこともある。(続く)

電気の手ほどき その4

感電の話をしてみよう。電気は怖いと思われているが、実際に怖い。電気の扱いに慣れている人で怖いと思わなくなったら要注意。電気文明が明治の初頭に日本に入ってきた頃は、電信柱を建てることさえ大変な反対運動がおこったそうである。それだけ、感電事故や、電気が原因で火事になったりと電気事故が多発したらしい。(ある雑誌で読んだ話) そのため電気を扱うための法律や電気技術者の資格制度が整備されてきたそうだ。余談ではあるが、電気自動車の給電スタンドなどの設置や管理についても新資格の導入が検討されているようだ。
 一口に感電事故といっても、いくつかに分けられる。電圧が高いのでショックを受ける。電流が体内を通過する。短絡事故の時の光でやけどする。100vでも危険電圧とみなされているようだが、100Vに触った場合は電流が流れることによる感電が推定される。電気はかならず循環ループの中を流れる。日本の場合、2本の電線のうち1本は地面に接続されている。だから2本のうちの一本を触ってもビリッとは来ない。もう一本のほうを触ると、そこから人体に電流が流れ、人体から地面に流れ、そこから電源に電流が流れることで感電する。だから、安全靴など地面との絶縁性が高い靴を履いていれば、危険は比較的少ない。これも知人から聞いた話だが、彼が電力会社に入った時に感電の味を覚えるということで100Vに触らせられたそうである。ただし、これが裸足でぬかるみに入った状態で触ると死ぬかもしれない。電流が流れやすくなるためだ。昔、電線がケーブルで被膜されていない、裸電線のとき、電線に止まったスズメが感電しない。何故? スズメは安全靴を履いている? いいえ。感電しないのは同じ電線に止まっているからです。これが二本の電線にまたがると感電します。電流が流れるからです。
 安全靴を履いても、どうにもならないのが電圧が高い場合です。雷などは空気中を流れる電流ですから、相当高いです。10億V(ボルト)くらいのようです。電流は流れやすいところを流れますから、山だと高い木、平地だと高い建物を通って地中に流れ込みます。そのときの電流は数万Aから数十万Aだそうです。避雷針というのが建物に取り付けられますが、避雷針が落雷を防ぐわけではありません。本来ならば建物に落ちたかも知れない雷を避雷針のほうに向けて、地中にそのまま帰っていただこうという趣旨です。だから避雷針が設置してある建物でも、雷様が別のところに落ちてくる可能性が無いわけではありません。
 最後にアーク放電の話。これは雷の光と同じものです。知人が200Vの配線をしているときに、短絡事故を起こしました。このときにアーク放電で凄い光が発生しました。工場の電源も損傷しましたが、彼のほうは顔に大やけどを負いました。病院では失明の可能性を指摘されました。しかし、顔は真っ黒になり、まぶたも大きくはれ、顔全体が包帯でぐるぐる巻きです。数日後に訪問した時は、黒人のような肌になっていました。幸いにも失明もなく、顔も全く回復しましたが、電気は恐ろしい。
 これも友人の話ですが、彼は電験1種を持っています。そのため、各種の電気設備の改修などに主任技術者として立ちあうのですが、いつも緊張の連続だそうです。彼が責任者として管理している工事や改修で、もし事故があれば、と思うと数千ボルトの電源を投入してゆくプロセスは胃が痛む程度のストレスでは、ないそうです。
(続く)

電気の手ほどき その3

 小学生の頃、学校で電磁石を利用したベルを作った。家に持って帰って動かそうと思った。電池がなかったので家のコンセントでも電気が得られるのではないかと思い、電池ボックスに接続されている線を外して、コンセントの穴に差し込んだ。そうするとパンという音がして、ブレーカーが落ちた。というよりも、調べたらブレーカーが落ちていた。家族は誰も居なかったので、叱られはしなかったが、ブレーカが有って助かった。もしブレーカが無かったら、電磁石のコイルに大きな電流が流れ、コイルが焼けて自分がやけどするか、配線ケーブルの被膜が溶けて、場合によっては火事になっていたかも知れない。
 まず、家庭のコンセントから供給されているのは交流の100ボルト。乾電池は直流の1.5V。交流とは二つの端子の間の電圧が141Vから-141Vまで1秒間に60回(東日本は50回)正弦波形で繰り返されている。だから電磁石で必要とする1.5Vの電圧の100倍以上の電圧がかけられたことになる。電圧は100倍だった。
 しかし直流と交流の違いがある。この場合、交流電圧で良かった。もし直流だともっと大きな電流が流れている。何故か? 電磁石のコイルはくるくる巻いてあるからである。このくるくる巻いてあるコイルに交流を流すと電流の流れを妨げるインダクタンス成分が効いてくる。ちょっと乱暴かもしれないがイメージ的には曲がりくねった川に流れる水流かな? インダクタンスとかリアクタンスという言葉が出てきたので面倒くさいと思われるだろうが、これらの働きを利用することで、現代の電気文明が成り立っている。この話はもう少し進んだ段階で始めたい。
 言い忘れたが、正弦波で141Vから-141vまでの電圧をなぜ100Vというのでしょうか? もし直流100Vだったら、同じ仕事をやるということが数学的に説明できるので実効値が100Vという言い方をしている。交流電圧100Vという場合は、山の高さが+141Vから-141Vまでを繰り返す電圧を意味している。日本では家庭のコンセントから供給されているのはすべて100Vだ。この前提のもとで家電製品が作られているので外国で日本製の電気製品を使う場合は注意が必要。製品が壊れるかも知れません。
(最近では自動的に変換してくれるものも多いですが)
 外国では200Vのところも沢山あります。電気ポットでお湯を沸かすと、とても早く煮立ちます。
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